個性は自分の最も大切な宝物。絶対に他人に侵されてはいけないもの

個性は自分の最も大切な宝物。絶対に他人に侵されてはいけないもの

他人の意見に振り回される人とみていると、どこまで自分を犠牲にするつもりなのだろう?なぜ、もっと自分を大切に考えないのだろうと思います。

人に貢献すること。ギブ&ギブの精神こそ尊いもの。そんなことを声高にうたう自己啓発書やセミナーに洗脳されてしまっては、ただ哀れにしか思えない。

そもそもそんな風に他人の犠牲になってしまう人は、自分の意志を貫いて生きているとは言えない。
いや、自分の個性を全く信用していない、もしくは個性を誤解してしまっているのではないだろうか。

だから、誰の犠牲にもならず、他人に左右されずに自分の意志を貫いて生きていくためには、何よりもまず、自分自身をしっかり内観する時間を持つことが必要です。
そうして自分の心を操っているものは何なのか?今のように他人に引き回されている現状の数々を、はっきりと認識することからはじめたほうがいい。

個性の無い、あやつり人形のように生きたいですか?

もう他人の意のままにはならない。
そんな決意したからといって、すぐには何もかわらない。むしろ、長く身についてしまった習慣を変えるのは難しい。
本やセミナーでノウハウを丸暗記したところで、今度は知識に引き回されるだけだ。
または、あなたの言動に異を唱え、あなたをまるめ込もうとする相手に対して、反論することでもない。

他人に引き回されない、しっかりした個人哲学を身につけることが、とても大切。

人間というのは本能的に「支配欲」が誰にもある気がします。
そのおかげで私たちの日常では、近くの友人や同僚、上司など自分に関わるいろいろな人々と、小さな争いを繰り返し続けています。
あなたも親切心からアドバイスしたり、仕事を手伝ったりすることがあると思いますが、それこそが見方を変えれば、相手を支配したいという気持ちの現れなのかも知れない。

もう他人に自分の個性を、支配されるがままに生きているはやめよう。
自分の気持ちに反して他人の意のままに動いたり、人並み
な判断力をそなえていながら人に支配されるのは、やはりみじめなことだという意識を持とう。

みじめな犠牲者にならないことも、また逆に犠牲を強いる加害者にならないことも、やろうと思えばできます。そのためには、この短い人生の間に、あなたが自分自身に何を期待しているのかをしっかりと再認識しておく必要があります。

そして「他人の意のままになる犠牲者」には決してなるまい、と強く決意すること。

自分の人生を他人の手綱に任せてはいけない

私はとても弱い人間だ。
一人で生きていくほどの知恵も乏しく、寂しさに我慢できない。

このような人は、つい他人に頼ろうとしてしまう。
そして、強引に自己主張してリスクを冒すよりも、自分をあやつる糸を人に預ける道を選んでしまう。自分よりももっと利口で強靭な人に、自分の人生の手綱をとってもらおうとするのだ。

もし自分の人生が、自分自身を中心に回っていないとしたら、どうだろう。

もしもあなたが、自分を極力押し殺して生きなければならないとしたら、どうだろう。

また、悲しみや不機嫌、傷心、心配などばかりで、自分が自分自身であることに不安を抱き、どうにもいかなくなったとしたらどうだろう。

もしも、晴れやかな気分が持てない毎日だったら?もしも他人の力で、始終あやつられているような気がするのだったら。

これが自分に信頼ができずに、日々何かに依存することに陥った状態なのです。
もしも、この状態を自覚してるのなら、他人の力を借りずに自分自身で、自分にこう問いかけてほしい。

「依存から解放されるというのはどういうことか、自由とはいったい何なのか」、と。

本物の自由とは、個性を解き放ちその実力を最大限に発揮すること

自由というものは、誰かがお盆にのせてあなたの前にさし出してくれるようなものではない。
自由は自分自身でつくり出していかなければならないものです。

もしも誰かが与えてくれる自由は存在しません。それは単なる施しです。そして施しには、必ず見返りを要求されます。

自由とは、何ら邪魔されることなく、あなたの意のままにあなた自身の人生を送ること。

もしもあなたが、自分の意志通り、身のおもむくままに生きようとしても、何ものかに常に束縛されてしまうというのなら、あなたは自分自身を支配する力、つまり支配力を持っていな
いということになります。

ただし自由になるということは、家族や仲間に対する責任から逃れることではありません。
責任を持つかどうかを選択するのは自由だ。けれども、自分の望みと、家族や友人といった自分以外の人の要求とがくい違ったとき、彼らの考えに従わなければならないという法はない。

きちんと彼らへの責任を果たしながら、なおかつ自由でいる方法なんていくらでもあります。
にもかかわらず、責任と自由とは両立し得ないと言う人が必ずいるでしょう。

また、自由を望むのは、我が儘なことだと言う人がいます。
こういう人たちは、あなたの自由を、そしてあなたの人生を、力づくで抑えつけてしまおうと考えている人たちだと思っていい。もしその時に屈服すれば、あなたは彼らに縛られて身動きできなくなり、結局は自由を失ってしまうだろう。

古代の哲学者エピクテトスは、自由について次のように言っている。

「自分自身の主人でない者は、決して自由ではない」

もしあなたが今、自分自身の主人でないならば、あなたは自由人ではないのです。

自由に生きる人々

自由に生きている人は、情緒が安定している人たちの中にこそ、世界でもっとも自由だと思われる人を見出すことができます。彼らは他人の気まぐれに左右されることを、ごく素直に、そして静かに拒否します。そしてそれがために、人生でコンスタントに実力を発揮することができる状況をつくりだしているのです。

彼らは、親だからとか、部下だから、あるいは大人だからこういう行動をとらなければならない、という束縛からまったく解放されています。世間的に定義されている役割というものなど
には規制されず、好きなときに好きなようにふるまう。ごく自然に呼吸する自由を味わっているのです。他人がどう思おうが、一向に気にしないし、その必要もない。

なぜなら彼らは、自分が選択したことについて、自分なりに責任感を持って行動しているからです。

だから、他人が自分勝手に"責任”について解釈し、それを押しつけようとしても、決してその言いなりにはならないのです。